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――世界の資本が通るハブが生み出す「人材・金融・専門サービス」のエコシステム
「ファミリーオフィスを誘致する」とは、単に富裕層やその資産を呼び込むことなのだろうか。
シンガポールでファミリーオフィス関連のイベントに参加していると、それだけではないことが見えてくる。
会場にいるのは、Single Family Office(SFO)やMulti Family Office(MFO)、プライベートバンクだけではない。
資産運用会社、ファンド、Fund of Funds、保険ブローカー、弁護士、税務・信託の専門家、さらには投資案件を発掘してファミリーオフィスにつなぐ事業者など、ファミリーオフィスを取り巻く仕事が細かく専門分化している。
最近では、従来は機関投資家ビジネスの印象が強かった大手運用会社も、プライベートウェルス市場との接点を広げている。
重要なのは、単に「富裕層が多い」ということではない。
シンガポールでは、世界の資本を起点として、運用会社、金融機関、専門家、投資機会、そして人材が相互につながるエコシステムが形成されているのである。
2,000を超えたシンガポールのSFO
その背景には、シンガポールへの急速な資産管理機能の集積がある。
シンガポール経済開発庁(EDB)によれば、2024年末時点でシンガポールのSFOは2,000を超えている。また、1,900人を超える専門投資プロフェッショナルが存在するとされている。
もちろん、SFOの規模や機能は一様ではない。
それでも、これほど多くのファミリーオフィスが一つの都市国家に集まれば、必要となるのはオフィスや銀行口座だけではない。
資産を運用する人、管理する金融機関、投資先を探す人、法務・税務を支える専門家、承継やガバナンスを考える人など、その周囲にさまざまな仕事が生まれる。
ファミリーオフィスの増加は、その周囲に存在する産業の拡大でもある。
ファミリーオフィスの「周り」に生まれる仕事
ファミリーオフィスは、一つ設立すればそれだけで完結するものではない。
資産管理・運用では、カストディ銀行、Investment Manager、EAM(External Asset Manager)などが必要となる。
投資の領域では、Fund ManagerやFund of Funds、プライベート市場を含む投資案件の発掘・評価を担う専門家が存在する。
さらに、弁護士、税務専門家、Trustee、富裕層向け保険の専門家など、法務・税務・承継を支える人材も必要になる。
そして、ファミリーガバナンス、フィランソロピー、次世代教育など、資産運用だけでは完結しない領域も広がっている。
つまり、「ファミリーオフィスという法人」が産業なのではない。
その周囲に資産運用、金融、法務、税務、信託、保険、投資、ガバナンスなどの専門性が集まり、ファミリーウェルスを中心とする一つの経済圏が形成されているのである。
世界の資本が「通る」シンガポール
この構造を理解するうえで重要なのが、シンガポールの資産運用市場である。
シンガポールは、自国の富裕層の資産だけを運用する市場ではない。世界から資金を集め、それをアジアをはじめ世界へ配分する国際的な資産運用ハブとして発展してきた。
【図版:シンガポールの資産運用残高(AUM)は7年間で約2倍に拡大】

図版の通り、シンガポールの資産運用残高(AUM)は2025年にS$6.7兆に達している。
さらに特徴的なのは、その資金の流れである。AUMの76%はシンガポール国外から調達され、運用資産の88%は国外へ投資されている。
ここには、シンガポールの金融ハブとしての特徴がよく表れている。
巨額の海外資金を集めて、それをすべてシンガポール国内へ投資しているわけではない。
むしろ、
世界から資本を集める
→ シンガポールで管理・運用する
→ 世界へ再び投資する
という構造である。
つまりシンガポールが取り込んでいるのは、資金そのものだけではない。
世界の資本を「管理し、運用し、配分する機能」そのものを国内に集積させているのである。
巨額のAUMは、なぜ経済に意味を持つのか
ここは非常に重要なポイントである。
AUMは政府の歳入でもなければ、その全額がシンガポール国内で消費・投資されるわけでもない。したがって、国家予算やGDPと単純に比較することはできない。
それでも、世界の巨額資産を管理・運用する拠点になることには大きな経済的意味がある。
資産を管理するには銀行が必要になる。運用するにはAsset ManagerやEAM、ファンドマネージャーが必要になる。プライベート市場へ投資するなら、案件を発掘・評価する人材も必要になる。
さらに、その周囲には弁護士、税務専門家、Trustee、保険、ファンド管理などの専門サービスが必要となる。
そして、それだけの機能が集積すれば、高度な金融人材も集まりやすくなる。
結果として、
資本が人材を呼び、人材が専門サービスを育て、その専門性がさらに資本を引き寄せる。
この循環が生まれる。
シンガポールの強みは、単に「お金持ちを呼んだ」ことではない。
世界の資本が通る場所になることで、その周囲に高付加価値の仕事と産業を形成したことにある。
政府が狙う「富裕層誘致」のその先
こう考えると、シンガポールのファミリーオフィス政策も違って見えてくる。
政策の目的は、単純にSFOの「数」を増やすことだけではない。
資産管理拠点の誘致と同時に、金融・専門人材の育成、投資、フィランソロピーなど、シンガポール経済や社会との接点も重視されてきた。
政府はSFOがもたらす経済効果について、SFO自身による直接雇用だけではなく、銀行や法律事務所など外部のサービスプロバイダーにも雇用が生まれることを指摘している。
実際、2022年6月時点では、一定の税制優遇を受けていたSFOだけでも約1,400人のシンガポール人・永住権保持者を雇用していた。
また、Global Investor Programme(GIP)のSFOルートでも、一定の投資やFamily Office professionalsの雇用など、シンガポール経済との実質的な接点を求める仕組みが設けられている。
つまり、
Private Capital
→ Asset Management
→ Financial Talent
→ Professional Services
→ Investment・Employment
へとつなげていく発想である。
富裕層誘致は、その入口にすぎないのである。
金融はシンガポールの成長エンジンの一つ
もちろん、「ファミリーオフィスや金融業がシンガポール経済を支えている」と単純化するのは適切ではない。
シンガポールには製造業、卸売業、物流、情報通信など、複数の強い産業がある。
一方で、金融・保険業は外部から資本と高度人材を呼び込む重要な産業の一つである。
シンガポール貿易産業省(MTI)によれば、2025年のGDP成長は主として外向き産業によって牽引され、製造業、卸売業、金融・保険業の3部門でGDP成長の62.1%を占めた。
さらに2026年第2四半期にも、金融・保険業は前年同期比6.2%の成長を記録している。
天然資源に乏しい都市国家であるシンガポールは、海外から資本と人材を呼び込み、それを国内の専門性、雇用、付加価値へと変換する仕組みを構築してきた。
ファミリーオフィスも、その大きな金融エコシステムの一部なのである。
日本に足りないものは何か
では、日本に足りないものは何か。
日本にも富裕層や企業オーナーは存在する。
資産運用会社、銀行、証券会社、ファンド、弁護士、税理士、保険会社など、それぞれの領域には高い専門性を持つプレイヤーが存在している。
つまり、必ずしも個々のプレイヤーが不足しているわけではない。
一つの課題は、それらがファミリーオフィスやファミリーウェルスをめぐる一つのエコシステムとして、横断的につながる機会がまだ限られていることではないだろうか。
資産運用会社は資産運用会社、銀行は銀行、士業は士業と、それぞれのコミュニティの中で活動する傾向がある。
さらに、シンガポールや香港など海外のファミリーオフィス・コミュニティと、日本の資産運用会社や専門家との継続的な接点にも、なお発展の余地がある。
日本に必要なのは、新しいプレイヤーをゼロから作ることだけではない。
すでに存在するプレイヤーを、業界や組織、さらには国境を越えてどう接続するか。
この視点が重要なのである。
「商品を売る場所」ではなく「接続する場所」へ
ここで重要なのは、ファミリーオフィスのコミュニティを、富裕層を集めて金融商品やサービスを販売する場所にしないことである。
ファミリーオフィスやWealth Owner、Asset ManagerやGP、PB、EAM、MFO、弁護士・税理士などの専門家、次世代・事業承継に関わる人材、そして海外のファミリーオフィス・コミュニティ。
こうした異なるプレイヤーが専門性を持ち寄り、信頼できる環境の下で知見を共有し、長期的な関係を築くことが重要である。
イベントを開催し、人が集まり、名刺交換をするだけであれば、ネットワークは形成できる。
しかし、それだけではエコシステムにはならない。
そこから専門家との連携、投資機会、共同プロジェクト、次世代・事業承継、海外との接続などが継続的に生まれ、さらに新しい人材や専門性を引き寄せる。
その循環が生まれて初めて、ネットワークはエコシステムへと変わる。
ネットワーキングではなく、エコシステムをつくる
シンガポールから学べるのは、SFOの「数」そのものではない。
2,000を超えるSFOの背後には、S$6.7兆規模の資産運用市場があり、世界から集まる資本と、それを管理・運用する金融機関、運用会社、金融人材、法律・税務等の専門サービスが存在する。
そして、それらが相互につながることで、新たな資本、人材、投資機会を引き寄せる循環が生まれている。
日本にも、それぞれの領域に優れたプレイヤーは存在する。
課題は、それらを国内外で横断的につなぎ、継続的な関係へと発展させることである。
ネットワーキングではなく、エコシステムをつくる。
ファミリーオフィス実務家協会(FOPAJ)が目指しているのも、単発の交流や名刺交換の場を増やすことではない。
特定の商品やサービスの販売を目的とするのではなく、ファミリーオフィス、資産運用会社、金融機関、法律・税務等の専門家、そして海外のファミリーオフィス・コミュニティが専門性を持ち寄り、知見、人材、投資機会が継続的に行き交う環境を形成することである。
「資産を呼ぶ」だけではなく、「資本・人材・専門性が集まり続ける仕組みをつくる」。
世界の資本を日本国内だけに投資してもらうことだけが目的ではない。世界の資本が日本を「通る」理由をつくり、その過程で運用機能、人材、専門サービスを国内に蓄積していく。
シンガポールの経験は、日本がファミリーオフィス・エコシステムを形成していくうえで、そのような視点の重要性を示している。
参考資料
Monetary Authority of Singapore (MAS), Singapore Asset Management Survey Report 2025, July 2026.
Singapore Economic Development Board (EDB), Global Business Families
Singapore Economic Development Board (EDB), With surge in family offices, Singapore aims to boost charitable giving, 3 September 2025
Singapore Economic Development Board (EDB), Family offices in spotlight over how much value they bring to Singapore, 10 July 2023
Singapore Economic Development Board (EDB), Global Investor Programme
Singapore Ministry of Trade and Industry (MTI), Written reply to PQ on impact of government-issued vouchers and credits on 2025 GDP growth, 12 February 2026
Singapore Ministry of Trade and Industry (MTI), Written reply to PQ on Addressing risks of Disproportionate Growth in Electronics Manufacturing versus Domestic-facing sectors and measures to mitigate concentration risks, 8 September 2026
※本稿は公表資料等をもとに、ファミリーオフィスを取り巻くシンガポールのエコシステムについて実務家の視点から整理したものであり、特定の金融商品・サービス、投資または法域を推奨するものではない。
